第2回 お四国歩き遍路記 NO.2 いよいよ室戸岬 |
曇時々晴れ 44260歩 30、98キロメートル 宿泊:民宿「うらしま」 朝、民宿よりのお接待でコーヒーをご馳走になり、尚且つパックに入れたおにぎりとバナナとみかんのお接待ははうれしかった。そして朝出かける際にわざわざ表に出て、女将・若女将ともに玄関先で「お気をつけていってらっしゃい!」と送り出してくれた笑顔が忘れられない。 朝から海岸沿いのウォークが続く・・・黙々と一人室戸岬を目指し歩く。 途中海辺に聳える大きな立派な岩にアチコチで出会い思わずデジカメのシャッターを押す。途中抜きつ抜かれつ歩いていた人は休憩所で休む事も無くひたすら黙々と歩いていった。そうこうする内に室戸岬に近づき山の手に大きな青年大師像が現れた。どうも観光目的で作られた物の様であるが、それにしてもデカイ!その青年大師像を過ぎたところに御厨人窟(ミクロウドクツ)があり、弘法大師はここから見た海と空から、のちに「空海」の名を得たとも言われている。その後24番・最御崎寺への遍路道に気づかず、通り過ぎてしまい大きな道路標識での案内に基づいて目的地へと向かったのだが、これが自動車遍路用の道であったようでアスファルトの上り坂を苦労して上る羽目になってしまい、1時間以上のロスとなってしまったようだ。25番の津照寺をお参りし民宿うらしまに到着する。終日花粉症マスクの着用に心がけた為朝までぐっすり寝めた。しかし、マスクをしてのお遍路は殆んど皆無で最後までお目にかかっていない。特に登坂の時は大きなハンデとなる・・・呼吸が苦しくなって整える為にマスクを外さざるを得ない。 |
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45385歩 31、16キロメートル 宿泊:民宿「きんしょう」 民宿「うらしま」から山道を登り金剛頂寺を参詣、遍路道を経て国道55号に出る。堀江さんから鯨館があるので是非立ち寄ってご覧なさいと言われていたので立ち寄るが残念なことに定休日であった。太平洋を見渡せる館の裏側で一服していると、堀江さんが追いついてきた。彼は51歳で両親も無く独身・・・兄貴が一人いるが疎遠となっており、50歳で仕事をやめ何者にも束縛を受ける事も無いので、好きな登山と遍路旅を続けるつもりと言っている。今回は3回目のお遍路で年金がもらえる年までに25回の遍路を達成したいとの事。お遍路に対する追求も彼なりのものを持って居り、持ち物や足の手当ての方法に特別なこだわりを持っている。色々とアドバイスをもらう事になる。何故か?この日泊る民宿も同じで、しかも相部屋ということになったのは縁というものだろう。 靴はお遍路用のトレッキングシューズ・靴下も遍路用靴下・下着を含めた衣類は洗濯機はあるが乾燥機の無い民宿がある事を考えポリエステル製の丈夫で軽く小さく保存できるスポーツウエアーが良い・足の手入れは道の駅で売っている「馬油」が良い等など参考になる情報をもらう事が出来た。彼はテントを兼ねるポンチョやコンパクトに収まる寝袋まで持っていたが、小さなリュックに入ってしまって過去2回の経験と登山暦を活かしきっている。 秋の遍路には参考にさせて戴こうと思う。 |
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32、761歩 22、93キロメートル 宿泊:山登屋旅館 民宿「きんしょう」にリュックを預け600メートル山頂にある27番札所・神峯寺に向かう。朝から登りにつぐ登りの遍路道で息切れが激しい。花粉症マスクが大変息苦しくシバシバ外して深呼吸をして息を整える。昨晩同宿の堀江さんとも抜きつ抜かれつとなる。下山途中62歳の大阪の古市さんと出会い休憩所で写真を撮り合う。以降宿泊先は違うが近くであるのでそぼ降る雨の中ご一緒する。民宿「きんしょう」でお世話になったお礼をし、宿泊先に向かう。途中の道の駅「大山」で出会うが彼は30キロ以上先の宿泊先で有るようで急ぎ素通りをして行った。この日は距離的に少なくゆとりがあるので道の駅で座り込みユックリ食事をする事にした。メニューに「クジラカレー」があるので、食したがナカナカの美味であった。後から来た堀江さんもオーダーしたが、私でご飯が無くなってしまった様で残念そうにラーメンを食べていた。阪神タイガースのキャンプ地である安芸に向かう。安芸は野良時計とか三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の生家とか古い町並みとか見るところが多く有るので楽しみにしていたがどしゃぶりの大雨に見舞われ宿屋に直行したため見る事叶わずとなってしまった。泊った旅館は料理旅館で穴子の白子の酢の物とか沢山の美味しいご馳走をいただくことになった。 |
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